
作品紹介{Title:Arrow says「This is not “Aroow”」[File name:Cago(Cut:One-way traffic)]}=Untitled

【作品情報】
- サイズ:B4
1ページ目が洞窟壁画、50ページ目がルネサンス、100ページ目に近代芸術が出現し、120ページ目にデュシャンの特集がある。180ページ目に現代アート、230ページにマイク・ビドロやシェリー・レヴィーンがいる。
300ページ目に私の作品が載る。それは以前のページを参考(以上に)して作られたものである。
作品の説明欄に自身は「私は障害者なので普遍性を求めるために作品として表しました。」だとか、「この作品はもの派の精神から導きました。」とか、その工程を新たに作られるモノと共に死が訪れるまで行う。
その結果、本を乗っ取り完成へと導くわけだが、本(人間)である以上希釈されていく。または焚書という結果もあるが…どちらにせよ、最終的に「無題」となる。
以上が作品に対する動機であるが、私も何言ってんだかわからない。
広汎性発達障害と診断されたわが身であるが、体感として自閉症とADHDの”認識できる二重人格”に左右される感がある。ADHDの後先考えず突っ走る行動に認知したときには「うわぁ~やっべぇ~」って焦る焦る。失敗したあかつきには尻ぬぐいは自分だし…。自閉症は拘りが強すぎる。アートを行う選択を決定したADHDに隙なく入り込んで補佐してやがる。視野が広がった分にはいいが、拘りが強いのでそればかりやり続ける。
そして我が身は気づいたら疲れてる。
タイトル以上に複雑な感情と事実と参照、オマージュの数々(を想定している)。
例えるならデイヴィッド・リンチのロスト・ハイウェイの作品に対する、「どこまで幻覚でどこまで現実か」と、「結末の決定権を委ねる終わり」を内包してるようなものだ。
要するに、言語化できない。
言語を借りて何とかやってる。ただし、私自身も不満である。それが正しいと自身が保証ができない。
人間失格。そういう人が作った作品です。

橋本Hashimoto
静岡